スカートの丈

昨今の女子高生のスカート丈の短さは犯罪的ですらありますね。あれだけ短かったら、中を覗きたいと思っていなくたって、自然に見えてしまいますよね。この寒さの中、鳥肌をたてながらミニスカートをはくメリットって一体なんなのかなぁ。
今日のトピックスはスカート丈について。


神田ウノちゃんみたいに長くて細い足だったら、何も文句はありません。誰だって美しいものは見せたいだろうし、美しいものは鑑賞したいと思うからです。しばしばファッション雑誌で特集されるミラネーゼ(ミラノの女性)の街角スナップ。彼女たちの小麦色にやけた、無駄のない美しい曲線の生脚(ストッキングをはかないで脚を出すこと)は、潔くて格好良くて全世界の女性の憧れでもあります。最近見かける女子高生の、欧米人に遜色ない伸びやかな脚をみると
「日本人も随分進化したものだわ」と誇らしくさえなります。


問題は、神田ウノちゃんじゃない人たちなの。

ながらく正座の生活を続けてきた日本人は、スラリとは対極の形容詞を冠する脚をもってきました。そんな遺伝子を色濃く受け継いだ純日本人、もしくは旧日本人は、今や少数になりつつあるのかもしれませんが、それでも皆が皆、ウノちゃんじゃないことは明々白々よね。


彼女の家には、一辺15cmの鏡があるだけで、全身を映す鏡は置いてありません。彼女の部屋を覗いたわけじゃあありませんが、断言できます。毎朝三十分間、15cm四方の鏡に向かって、ヘアスタイルを決め、肌の調子を入念にチェックして、表情をつくる練習をしておりますので、首から上はまずまずとしましょう。しかし、15cmの鏡ではそこまでしか映せないのです。


もしも彼女の家に全身の映る鏡さえあったなら、純日本人体型の彼女が、敢えて校則を破ってまでスカートの丈を詰めようと思うでしょうか?

学校の廊下で、そんな困ったちゃんとすれ違う時、すごいジレンマを感じてしまいます。彼女に「一度、全身の映る鏡で、あなたの脚を見て御覧なさい」というべきか否か。


そんな時、便利なものは何だと思います?
それは校則です。
私は教職に身を置くまで、校則で、靴下の色・長さ・靴・靴紐・カバンの架け方・髪の毛の長さ・縛り方・果ては下着の色まで、細かく口出しするのは、行き過ぎなんじゃないの、と世間一般と同じような意見をもっておりました。でも、今では、そんな考えをしていた自身を深く恥じて、前言撤回させて頂きたいと思います。


ウノちゃんではない困ったちゃんに
「あなたのその脚で、そのスカートの丈はないでしょう」といったら、翌日から彼女は不登校になってしまいます。
しかし
「校則でしょ。スカートの丈を戻していらっしゃい」といえば、注意する方も、される方も丸く収まるのです。先生は、いらぬ心配をしなくてすむし、言われたほうも
「だっさい校則のせいで、スカートの丈を長くさせられた」という解釈をするでしょう。


校則とは、愛だったんです。
生徒の心を傷つけることなく、生徒の過ちを正していく。
本当のことを言ったら、三年は立ち直れないくらいのことだって、ひたすら「だっさい校則」を悪役にしておけば、誰も傷つかなくてすむという寸法だったのです。
だから愛のある校則であればあるほど、「だっさく」「厳しく」「細かく」なるわけ。


残念なことに、校則と愛の関係は、あまり公にはできない関係です。この日記を読んでくださったあなたも、他言は無用です。