重大疾患か?

先週土曜の夕方、いつものようにテルちゃんを抱きながらソファーで寛いでおりました。
そのとき、テルちゃんの肛門に出血跡らしいものを発見してしまいした。びっくりして尻尾をつかんで注意深く肛門を観察すると、じわーーーーっと茶色っぽい液体が、肛門からにじみ出ているではありませんか。
こっ、これは、内臓からの出血か?
びぇーーーーー、しかも、よりによって土曜の夕方?
すぐにスマホで土曜の夕方でも開いている犬猫病院を検索すると、意外にも自宅近くに見つけることができました。
そこは初診の病院ですが、すぐに電話をすると、「来てください」とのことでしたから、テルをキャリーに詰め込んで大急ぎで病院にすっ飛んで行きました。テルちゃんは毎度のことですがキャリーの中でにゃーーーーーーーにゃーーーーー鳴き続けています。
重篤な病気で、急病だったらどうしよう。
とはいえ、さっき与えた夕飯はぺろりと平らげていたし、鼻先は濡れているし、ご機嫌な様子でゴロゴロ喉を鳴らして私の膝の上で寛いでいたっけ。


先生は一目テルちゃんを見ると
「ちょっと太めですね。」
と言われました。診察台の上で体重を測ると、半年前に定期健診を受けた時より、600グラムも増えていました。
先生は、テルの尻尾を揚げて肛門を観察すると、
「これは心配ありません。猫は肛門の横に、臭い付けのための嚢を持っていて、糞に自分の匂いを付けるんだけど、それが肛門からにじみ出ているんですよ」と説明しました。
ティッシュでその液体をふき取ると、これでおしまいです、とのこと。


いやあ、よかった〜。
何か重大な病名でも告げられたらどうしようかとひやひやしていたので、心底ほっとしました。
肥満対策としては、餌の量を減らしてやるのが一番手っ取り早いので、少し減らしてみてはとアドバイスを受けました。
ちなみに、初診料込みで1500円でした。
ナンチャッテのように、平日働いていている人間からすると、土日も開いている犬猫病院の存在ってとっても心強いです。
実は、数か月前に、テルが一日に一度もトイレを使わなかったことがあって、超心配になったナンチャッテは、
「翌日の朝一で病院につれていこう。学校へは、まさか猫の調子が悪いので休みますとは言えない。ま、ここは仮病しかないか」などと考えていた矢先に、テルがおしっこをして事なきを得たことがありました。


猫といえども大切な家族の一員です。
ペットが急病になったとき、仕事を持っている人はどうしているのかしら。

じじばば連れの旅行

ナンチャッテの母は、今年77歳。
親孝行な妹とナンチャッテは、ばばの喜寿の祝いに、一泊旅行に招待することにしました。
目的地は金沢の山代温泉

二年前の春に、じじばばを連れて息子Bの入学式にでました。
その時、つくづく実感したのは、オーバー80歳のじじと、75歳のばばを一人で連れて電車を使って旅行に行くのは、ホントーーーーーに大変だったということです。
トイレが近い。荷物が多い。歩くのが遅い。すぐに座りたがる。そいでもって、携帯電話を使いこなせない。
そりぁ大変でした。
お土産を買うにも、少し移動するだけにも、食事をするにも、私が考える時間の倍はかかるんです。
あの時から更に二年経過しているわけで、じじばばのスロー化も更に進んでいるはず。
そこで、今回は妹にも一緒についていってもらうことにしました。
そうそう、前の旅行で学習したことは、スーツケースは移動の邪魔になるということ。だから、全員リュック。


妹は、じじばばと公共交通機関を使って旅行するのは初めての経験でした。旅行の前に、私が口を酸っぱくして、じじばば連れの旅行がいかに大変かということを説明しても全然わかっていなかったみたいです。
気が付くと、妹は一人でスタスタと先に歩いていって、後ろの方からのろのろ歩いてくるじじばばのことなんか、全く気にしていないんです。それでも、妹がいてくれて、随分助かりました。


親孝行の旅行を考えている方がいらっしゃったら、一日でも早く実行されることをお勧めします。
老化の速度は人によって個人差があるので一概には言えませんが、父を見ている限り、80歳を超えると、いろいろなところに「老人」を感じることが多くなりました。


喜寿の祝いの旅行は、つつがなく一泊二日の温泉旅館を堪能し、翌日の息子Bが出演するカルテットの演奏会を聞き、無事に帰ってくることができました。
とりあえず、親子水入らずの時間を過ごせたし、息子Bの出演するカルテットも大成功だったことなので、これにて山代温泉の親孝行旅行は一件落着です。

人間も猫も新しいおもちゃが好き

うちのテルちゃんは、運動不足のせいか、少々太り気味。
運動不足解消のために、週末にはナンチャッテと追いかけっこして家中を走り回っています。
テルちゃんがお気に入りのおもちゃをちらつかせながら、階段を上がったり下がったり、廊下を出たり入ったり。
お気に入りのおもちゃは、三センチくらいのネズミを模したものです。
外側の毛はウサギの毛が使ってあり、尻尾はおそらく豚の革を細く切ったものだと思います。


おもちゃはいろいろ試してみましたが、なぜか何の変哲もない小さなネズミが一番のお気に入りらしく、一番反応するのです。
ちなみに、「またたび」には全く反応しません。
「猫にまたたび」はお約束だと思っている人も多いと思いますが、そうでない猫も一定数いるらしく、うちの子は、その一定数に入っているようです。


ネズミのおもちゃですが、ちょうど口にくわえるのにびったりなサイズ感で、自分で目的地まで運んでいきます。
さっきまで一階の居間でネズミと遊んでいたと思ったら、くわえて階段を登っては、自分の城であるキャットタワーの上に運んでいたりします。
おもちゃのネズミの立ち位置としては、「狙われた獲物」という扱いの時もあるし、「大切な宝物」という扱いの時もあります。


そのネズミも、散々遊んだネズミよりも、買ってきて袋から出したばかりの「おろしたてのネズミ」のほうが、テルちゃんの気持ちを揚げるようで、外見は全く同じネズミでも、新旧では反応が全く違います。
私たちだって、たとえば同じものでも、さんざんは着古した靴下より、おろしたての新しい靴下を履くときのほうが、絶対に気分がいいですよね。きっとそんな感覚なんだと思います。


明日からは土日で久しぶりにゆっくりできます。
さあ、テルちゃんを遊ばせるために、明日も家中走り回るぞー。

今やれることは、やってみました

三月から店に飾っていた桜の花も、時期的にそろそろ変えた方が良いのでは・・・ということで、今日は桜から一気にバラの花へと模様替えをしました。
店のウインドーの花は、ピンクを主調にしたチューリップとガーベラから、ブルー、パープルを基調に、若干のニュアンスカラーのアイボリー、グレージュを含むピンクの紫陽花へと変わりました。一気に初夏の装いへと衣更えしました。

毎年五月は、ナンチャッテ屋のもっとも繁盛するイベントである、市の祭りが行われる月です。今年は、わがまちの山車文楽が、なんとユネスコ無形文化財に登録されるという快挙を成し遂げてから初の祭りとなります。例年にも増して、多くの人出が見込まれますし、いやが上にも、商売繁盛の期待が膨らむではありませんか。


ところで、五月のお祭りに来てくださるお客様の多くは、毎年五月のナンチャッテ屋の前を通ってゆかれます。
ということは、毎年、同じ月のナンチャッテ屋の設えを見ることになります。
実は、去年、道行くお客様の会話をふと耳にした妹からこんな話を聞いて、愕然としました。
ある親子が、ナンチャッテ屋の前を通ったとき、子供が
「わー、かわいい箸置きだね」と言ったのに対して父親が、
「去年と同じじゃないか」と答えていたというのです。


ナンチャッテは店づくりのコンセプトとして、お客様の目を楽しませる店づくりをしたいと考えて、常に新しい物を見ていただこうと努力してきたつもりでしたから、去年と同じと言われたことに心外だと思いました。が、反面、店の商品を多少入れ替えたり、新しい商品を仕入れたりする程度では、お客様に目新しいと感じてもらえないんだなあと、厳しい現実を知りました。


ただ、店の作り上、大掛かりにレイアウトを変更することはできないので、細部に工夫を凝らすよりほかに方法がありません。
今年は、主力商品を「兜と刀」の箸置きのセットから、三寸の豆皿と一寸の箸置きのセットに変えて売り出すことに決定しました。
白地に紺の染付で、夏らしいチドリをモチーフにした四柄と、おめでたい福の文字の五柄をご用意しました。
(富士山とチドリ・カゴメとチドリ・梅とチドリ・青海波とチドリ)
豆皿と箸置きを同柄で揃えていただいてもお洒落ですし、豆皿だけ、箸置きだけでもお買い上げいただけます。
実は、ナンチャッテ屋にはそれ以外にも豆皿を数多く取り揃えておりまして、昔懐かしい唐子柄、織部、蕪の図柄、花柄、楕円の豆皿、黒、空色、市松、団扇型のもの二種類、1.5寸の超小型豆皿も数種類・・・見ているだけで楽しくなるようなラインナップです。
価格も一枚200円〜。もちろんすべて日本製です。


やれる限りのことは、すべてやってみようと、私たちのできる範囲でやれそうなことは、とりあえずやってみました。
あとは、お客様の反応を待つばかりです。

学位授与式と部屋の大掃除

息子Aが、この度無事に大学院を修了することができました。
浪人も留年もすることなく、最短で学生生活を無事に終了できたことは、親孝行だったと思います。
二年前、学部を卒業する際には、夫と参加した卒業式でしたが、今回は夫は海外赴任中のため、ナンチャッテ一人で参加することになりました。
ナンチャッテは卒業式の前日夜(午前中は仕事してました)に東京に着き、息子Aと大丸デパートの特選品コーナーで待ち合わせをして、そののち夕飯を一緒に食べてから息子が四年間過ごした下宿に行きました。
ちなみに駅周辺での待ち合わせの場所として、お勧めなのはデパートの特選品コーナーですよ。
本屋というのもいいですが、人も多いし、本棚で視界が遮られてなかなか簡単には探せなかったりしませんか?その点、特選品コーナーは概ね客が少なくて落ち着いた雰囲気だし、コーナーにはふかふかのソファーとか置いてあったりして待ち時間が苦になりません。
話せば長くなりますが、特選品コーナー通のナンチャッテが目を肥やしていたおかげで、ヘレンド窯のボンボンケース(10万円相当)をバザーで300円で手に入れたという武勇伝にもつながるのです。


さて二年前の卒業式の時に、注文しそこねた卒業式用のガウンと角帽のレンタルも前もって下宿に届けられており、準備万端。
翌日は、大学の学位授与式に参加して、夕方から下宿の片づけをはじめ、もしも片付けのめどが立ったら、翌々日は近代美術館で展示中のミュシャ展がみられたらいいなあ、という心づもりです。


息子Aの下宿の惨状については、以前夫が仕事の帰りに東京の下宿に立ち寄った時の様子が報告されていたので、覚悟はできておりました。おそらく、男の子が一人で生活している部屋というのは、こんなもんだろうなあという部屋でした。
冷蔵庫の冷凍室には、厚さ7〜8センチの分厚い氷がびっしりと上下左右の壁を覆っておりました。息子が言うには、旅行中に、うっかり冷凍庫のドアを開けていたらしく、帰ってきたらこうなっていた・・・とのことでした。冷蔵庫は廃棄予定なんだけど、霜は取り除いて捨てるようにと言われていて、どうしたらこの氷河のような霜をどう始末すべきかわからずにほとほと困っていたのでした。
そこは、家事歴30年のキャリアを持つナンチャッテが、まるで魔法のように霜を撤去し、心の底から息子に尊敬されました。
トイレや風呂の排水溝や台所の水周り、レンジ周りも家事のプロがあっという間にピカピカにしてしまい、息子Aからは大絶賛を受けました。


部屋の片づけに関しては、ナンチャッテの功績が続きますが、話を学位授与式当日に戻しますと・・・
当日の朝、近所のコーヒーショップで軽い食事をとると、下宿で身づくろいしてタクシーで大学へと向かいました。
ちなみに、ナンチャッテは、オレンジ色のサックワンピースにふんわり春らしい花柄の大判スカーフ、それに黒のシンプルなロングコート。靴とバッグは落ち着いたベージュのフェラガモにしました。父兄の方々は、スーツやワンピースとコートという方が多かったですが、和服姿のお母様もけっこうおられました。やっぱりこんな場には和服が似合います。
ガウンの着用率は30−40%ほどでした。学部の卒業式の時よりも多い気がします。
学部の時と同様に、生徒は安田講堂で、父兄はパブリックビューの会場で式に参加します。


学長の五神氏は、15分ほどの告辞を一度も下を向いたり、止まったり、噛んだりすることなく、ちょうど言葉が心に染み込むくらいの速さで、話をされておられました。大変素晴らしい告辞でした。
卒業生の学生さんたちには、ブランドネームに満足するんじゃなくて、その経験を活かして世の中のためになる人になってほしいなぁと、つくづく感じ入って聞いて来ました。

歴史博物館〜九龍

私は旅行先の土地土地で、可能な限り足を運ぶ場所は、その土地にある「歴史民俗博物館」みたいなところです。
それぞれの土地の歴史や成り立ちについて、けっこう力を入れて展示・説明がしてありますから、そういう場所を訪れて「ハズレた」という経験はしたことがありません。
そこで、今回も私のウィッシュリストに「歴史博物館」を入れたのでした。
早茶を楽しんだ後は、タクシーで博物館へゴー。


香港の歴史博物館は、なんと入場料がタダ。おそらくイギリスの大英博物館のような存在にしたかったのかもしれません。
歴史博物館だけあって、入り口付近の展示は、「○億年前の香港」から始まっていて、もちろん人間の姿はありませんでした。それからしばらくして「○万年前の香港」となって、原始人みたいな人たちの暮らしぶりが展示されていて、その後、貧しい漁村の時代へと続きます。香港と一口に言ってもいろんな民族が共存していたらしく、各民族の風習や衣装が随分違う様子もわかりました。芸術品については、中国本土とは比べ物にならないとはいえ、色濃く中国本土の影響を受けていて、間違いなくここは中国の領土だったんだなあと実感できます。
そして、アヘン戦争を経て、イギリス領となった香港の様子、白人が支配した時代、そして返還された後の飛躍的な発展の様子なんかが見られます。
展示の仕方もおもしろくて、楽しい場所でした。


そのあとは、再びタクシーで、息子Aの希望であった九龍の跡地を見に行くことにしました。
ここは、かつての九龍城塞があった場所で、一昔前に取り壊される前には、悪の巣窟として名高い場所でした。
この地区は、イギリスの租借地から例外的に外されていたので、イギリスにも中国にも法治権がなかったために、文字通りの無法地帯となりました。
しばしば中国を舞台にした小説や漫画に登場する東洋一の魔窟でした。
富士山の麓の青木ヶ原樹海同様、足を踏み入れると二度とは出られないというような噂もありました。


1990年ころに、この城塞が取り壊された後には、整備されて普通の住宅街になっています。住宅街とはいっても、土地の価格の高い香港ですから、高層ビルが立ち並ぶ普通の住宅街です。高層ビルと言ってもお洒落なファッションビルやオフィスビルじゃなくて、高層アパートという感じかな。路面に面した一階には店舗が入っていて、肉・野菜・香辛料・薬局・銀行・菓子店・レストラン・喫茶店・・・が軒を連ねていました。なぜか、洋品店関係の商店が少なかった気がします。
そこで、息子Aが目をつけていたのが「潮州料理」のレストランです。
魚介類を使った薄味の味付けが特徴なんだそうです。
そういうレストランで昼ごはんにするわけなんですが、料理の選び方は、まずは店先に並んだ魚を指さして選び、それを調理してもらうという方式なのでした。
やっと飲茶形式に慣れたと思ったら、今度はまた違う方法での注文の仕方で、毎回ドキドキしながらごはんを食べることになります。

早茶にチャレンジ

昨晩はオープントップバスに乗り、ネイザンロードを散策し、タクシーを拾えずにへとへとになってホテルに戻りました。
香港人の夜遊び人口は、半端なく多いし、夜も店がずっと開いています。
とにかく、道をすれ違うのに人とぶつからずにはおられません。
若者が多くて、パワーがあるなあ、という感じ。

次の朝は、私のウィッシュリストにも載せてありましたが、早茶を楽しむというミッションにチャレンジしました。
要するに飲茶の朝ごはん版だと思っていただけばいいです。
ガイドブックによると、「翠園」はオーダーシートだけでなく、ワゴンがぐるぐる回ってきて点心を売るスタイルもある、と書いてありましたので、朝ごはんを食べるために電車に乗って行ってきました。
「翠園」は、駅ビルの中に入っているレストランでした。
私たちが訪れた時には、すでにお客さんがロビーに溢れていました。どうやら場所を確保するために、自動販売機で人数を打ち込んで予約するスタイルらしかったです。ナンチャッテと息子Bが、このシステムを理解できずに困っていたら、地元のおばちゃんが、やり方を教えてくれました。

そうそう、ここで大切な情報!
香港といえば、100年ものあいだ英国領で、みんな英国風の名前を持っていたりして、イメージ的にはほとんどの人が英語を話し、簡単に英語が通じ取ると思っていませんか?
実は、思う存分英語が通じるのはホテルみたいな場所だけです。
一般住民は、ほぼ100パーセント英語が通じません。通じるとしても、カタコト英語くらいなもんです。ちなみに、日本語はもっと通じません。
息子Aは、特技の英語を使ってママをエスコートしてくれるはずだったんだけど、むしろママのナンチャッテ中国語の方が通じてしまう場面もあるくらいでした!

さて、案内されて席についたものの、一体どのように注文するのか分からず、辺りをチラチラ観察して、なんとか注文完了。
私たちが三泊四日の香港で食べたすべての食事で、不発は一品もありませんでした。
食いしん坊は、ぜひ香港へいらしてください。
ちょっと立ち寄った店で食べた杏仁豆腐やマンゴープリンも、日本の三倍ほどの器になみなみと注がれていましたが、味は大変良かった。噂の「亀ゼリー」にしても、コカコーラのような強烈な色にタジタジしたものの、糖蜜をたっぷりかけて恐々口にすると、滋味が体に吸収される感じで、悪くはない。唯一、だめだったのが、「亀ゼリー」と一緒に出してくれた、漢方色満載のお茶は、まずかったです。ただし、このお茶は、美味しいとか不味いとか、そういう物差しではかるようなステージにはいない食品だと思います。


「翠園」の早茶も、二人で6品ほど注文しましたが、大変おいしかった。本当は、お粥も注文したかったのですが、注文の仕方がわからないまま、店を出ました。
お勘定は、テーブルでやってくれるんだれけど、悩ましいのがチップ。
明細を見るとサービス料も含まれていると書いてあるんだけど、この場合のチップって要るのか?