燃焼系作文

時々面食らうのが、作文を読んでいるとき。



生活の中の些細な出来事を、見過ごさずに、ちょっと普段よりも深く考えてみようという課題で作文指導をします。



優秀賞に選ばれるような作文を読むと、「祖父の死」とか「祖母の病気」とか、死や病気を題材にしたものが多いんです。だから、そういう作品を読んだ後で、
「うちのじいさんは当分死なないから、こういう感動的な作文は無理無理」
「えーっ、うちは、とっくに亡くなってるしぃ」
という反応が多いのです。
だから、佳作あたりの作文で、人の生き死にに関係ない作品を読ませて、
「ね、こんな身近な題材でも、掘り下げると、実は深い意味があったのね、という一言や行動に気付いたりするよね」というふうにもっていきます。



作文の課題は九割の生徒が嫌な顔をします。
「え゛〜、だって書く事がないもん」
というのがそういう人たちの言い分です。
彼らにとって、書く事とは、じいさんの死と、ばあさんの病気のことを指すのです。
あまりにも優秀賞「祖父の死」の作品の刷り込みが強すぎて、それ以外は思いつかないようです。



もう一つの間違った刷り込みは、「遠足に行って、すごく楽しかった」「文化祭がとても感動的だった」「部活動では、精魂傾けて完全燃焼した」という過剰に美化した作品にすること。
ちょっとお聞ききしますが、お決まりのコースの遠足に行って、本当に楽しかった?
文化祭が、そんなに感動的だった?
部活で完全燃焼した人が一体どれくらいいます?



中には、心底楽しかったり感動したり完全燃焼した人もいると思います。でも、自分の経験からしても、教師の立場から生徒を見ても、燃焼系・心底感動派は少数派ではないですか。
それなのに、燃焼系作文を題材にした生徒は、みんな良いことしか書いてないのです。
小学校で、作文には美しいことしか書いてはいけないという掟でもあると教えているのでしょうか?



遠足にいったけど、楽しくなかった。どうして楽しくなかったのか、自分の心に正直に問いかけてそれを作文にしたっていいじゃん、と思いません?
部活動では、いつも日陰でベンチウォーマー。ブスブスくすぶっていた三年間で辛かった、でもいいとおもいません?
成功体験や完全燃焼した経験を題材にした作文は、やっぱり本当にそういう体験をした人にしかかけませんよね。