活字離れ

司馬遼太郎さんの「功名が辻」、テレビも面白いですが、原作もすごく面白いです。司馬さんの作品は長編が多い中、全四巻と比較的短いのがいいですね。しかも日本史の桧舞台ともいうべき、織田信長から徳川家康の一挙三英傑の活躍を縦軸にしているわけだから、これで面白くないといったら、恐れながら相当な歴史音痴かもしれません。
是非一度読んでみてください。



昨日、とうとう読み終わってしまいました。
実は、ゴールデンウィークの大阪旅行中に読み始めたものです。
面白い作品は、一気に読みたい気持ちと、もったいないからゆっくり読みたいという気持ちが相克しあって、両方の気持ちを抑えながら読むので、ますます気分が盛り上がってしまうのです。



何を隠そう、私は活字中毒者で、実は小学校時代から、読書したさに学校をサボってしまったことさえあったのです。運よく、担任の先生が母に
「つまらないような授業を聞いているより、家で本を読んでいるほうが余程ためになりますよ」といってくれたらしく、母もヤンヤヤンヤ言いませんでした。



活字離れが進んでいると、私が子供のころから言われ続けていますが、一体いつの時代と比べているんだろう。江戸時代の長屋住まいの一般庶民が読書を楽しんでいたとは思えないし、明治時代だって読書が庶民の子供の楽しみだとは思えないし、戦前・戦中・戦後のどれをとっても、全ての子供が読書を楽しんでいた時代なんてあったのかなぁ。




それに比べたら、今の方が活字に親しむ人口自体は多いんじゃないかなあ。今は中学校で「朝の読書」を励行しているところが多いですよね。すばらしいことだと思います。ただ、読んでいる本の内容がイマイチで、ホラーものとか、軽薄なアドベンチャーものとか、浮薄な恋愛ものだったりするんだわ。もったいないです。
その大きな原因の一つは学校図書室の貧しさにあるような気がします。例えば、名作とよばれるような作品は、あるにはあるのですが、二十年以上前の印刷で日に焼けてページが黄ばんでいたり、妙に仰々しいハードカバーだったりして、古本屋に売りに行っても引き取ってもらえないような代物が多いんだよね。畢竟名作は生徒の手から遠ざかる一方で、新しく購入されたちょっと軽薄系の本ばかりが読まれることになります。学校側としても、たとえページが黄ばんでいても読めないことはないし、今現在、図書室にあるわけだから、また同じ本は買えないのかもしれません。そこらへんのところは分かりません。



私でも、本屋の店頭に並んでいる印刷したての新品の「功名が辻」だから読むのであって、分厚くて黄色いページで紙魚(シミ)がウヨウヨ動いているような本だったら、どんなに薦められても絶対に読まないもんね。

追記:我が家の家族は、だれも紙魚が読めなかったばかりか「シミ」のことを知りませんでした。シミっていまでは  そんなにマイナーなものになりさがったの?