朝から悲愴

我が家の朝は、私が五時半に起床して、上の子供の弁当作りするところから始まり、朝の六時には全員が朝の食卓につくという、規則正しいものです。そんな我が家の時計代わりになっているのが、
みのもんたの「朝ズバ」です。個人的には「みのもんた」氏の脂ぎった顔はタイプではありませんが、話す内容や歯に衣着せないトークにはしばしば溜飲の下がる思いで聴いております。NHKのアナウンサーでは決して聞いてくれないような質問や普通のアナウンサーでは流してしまうような会話の一言一言にまで執拗に食い下がってくれるあたりは、「さすが」と思います。




平日は、朝ズバの毒気に当てられてのスタートですが、
週末は、クラッシック音楽でゆったりした朝を満喫しております。
私は、ブラームスが大好きで、特に好きなのが変奏曲悲劇的と交響曲第四番。この曲を聞くと、激しく心を揺さぶられるため、「何だか最近感動が足りないなー」という時御用達。この曲を聞くと、感動センサーにこびりついていた埃がブルブル・・・と払い落とされていくのが分かります。それぐらい大好きで大好きでたまらない曲。
私は特にクラッシック音楽に詳しいというわけではありませんが、幼少から楽器を習っていたことと、大学時代にオーケストラに所属していたおかげで、一通りの有名な交響曲くらいはサビと名前が結びつくくらいの知識があります。
わが夫は、音楽を聴くことは好きらしいのですが、知識の部分が欠如していて、時々?と思う選曲をしてくれます。




ついこの間の週末のことです。朝食のときにCDをかけてくれたんだけど、いきなりドビッシーのピアノ曲でした。ドビッシーのピアノ曲って、万人向けじゃないよね。少なくとも週末の朝の食卓に合う曲じゃないと思ったので、別の曲にしてくれるように頼みました。
わが夫は、ママの言うことをとっても尊重してくれる優しいひとなので
「ああ、いいよ。」といって何か別なCDを物色し始めました。
チャイコフスキーは?どう?」チャイコフスキーは私の中では三番目に好きな作曲家。
「いいじゃん、それにして」
しばらく待ってもなかなか始まらないので「おかしいなぁ、もしや!」と思ったら、案の定スピーカーから流れてきたのは、ピアニシシモから始まるあの「悲愴」でした。この日は息子の大切な模擬試験の朝。この縁起の悪さって一体何?



「ちょっとぉ。今日は模擬試験があるというのに朝から悲愴はないじゃん」
「へぇ、悲愴っていうの?そいつは縁起が悪いねえ」
数あるCDの中から、よりによってチャイコフスキーの悲愴を選び出す感性!ちょっと普通っぽくないというか、なんというか・・・・。