古典芸能

土曜日に、生まれて初めて狂言というものを見てきました。
あまりのシンプルな舞台に、吃驚してしまいました。縦横三間、つまり5.4mの真四角な舞台。
えっ、これだけ?


始めに、狂言を見るためのルールみたいなものを教えていただきましたが、これを知らずに見たら、まったく意味が通じなかったと思います。
まずは、正方形の舞台に対角線を一本引くと、二つの二等辺三角形が出来ますね。そのうちの一つを陽、一つを陰と呼びます。陰の舞台に入っていて、役者がしゃがんでいたら、それは舞台上には存在していないことを表します。だから、目と鼻の先にいながら、陽の舞台にいる役者には、陰の舞台にいる役者には見えていないということです。



また、陽の舞台の二等辺三角形の上を一回回ると、それは場所移動をしたことを表してして、たとえば役者が
「ここはブラジルでござる」といったら、その舞台の上はブラジルになっていると思わなければなりません。




面白かったのは、狂言には、ナレーションというものが無くて、すべて役者が台詞の中で状況説明もしてしまうことです。普通の劇なら、ナレーションが無くても、舞台上の状況や、登場人物の服装、持ち物、小道具、大道具などから推察がつくものですが、狂言は四角形の舞台があるだけで、道具らしい道具は見あたらない訳です。(今回の公演で使った道具は、三つの番組で、扇、ひも、棒、杯、椅子でした) だから、逐一、いま某は何をしているのだ、という台詞が入るのです。
ところが、その台詞が古語なので、ほとんど英語を聞いているような感じなわけです。



狂言は、台詞劇ですから、うたたねをしているとストーリーが分からなくなってしまいます。その点、能は十分くらいうたたねしてしまっても、あまり話の展開が無いかもしれません」といわれました。それでも、うっかり転寝してしまうくらいストーリー展開が遅くて、三分で済むところを三十分かけていたみたいだというのが正直な感想です。



きっと、ものすごく奥が深い芸術なんだと思います。が、狂言鑑賞を趣味に出来るような身分ではないということが、はっきり分かった鑑賞会でした。世の中には、知らない世界がまだまだ存在しているのだと改めて感じました。
狂言でこれですから、能の世界はいったいどんなものなんだろう?知りたいような、知るのが怖いような・・・・・