読書感想文その③ 中身

ここで、あなたが一番心を動かされたシーン・フレーズ、または疑問に感じたところ、または許せない、うらやましい、悲しいなどなど、一番感情のメーターの針が大きくふれたところを思い出してみてください。それが感想文の核になるところです。




で、注意して欲しいのは、「読書感想文」という括りの名前。
実は、私は割合に早い時点で気がついていたんだけど、名前に惑わされて本の「感想」を書いてはだめだなんだということ。
本は、あくまでも発火装置の役割しか果たしていません。何かを考えたり、思ったり、想像したり、問題を解決したりするための「きっかけ」になるのが本なのです。




小学校低学年の子供が一度は呼んで涙する本フランダースの犬を例にあげてみましょう。
フランダースの犬」を読んで、かわいそう・・・の涙を流さない人はいないでしょ?
でも、「主人公のネロと犬のパトラッシュはかわいそうでした」、みたいなことを書いた時点で判定がBになってしまうといっても過言ではありません。主人公の短い人生が幸せいっぱいの人生だったとは、どこをどう読んでも出てきませんよね。そんな当たり前のことを、当たり前の言葉で書くというのは、すでに読書感想文を書く意義から大きく外れてしまっているからです。
なんで、主人公のことを、かわいそうに感じたのか、そこんところをちょっと深く掘り下げてみてください。
貧乏だから?
おじいさんが死んでしまったから?
犬の忠誠心に心打たれたから?
女友達の父親から理解されなかったから?
画家になりたいという自分の夢がかなわないから?




貧乏、肉親の死、犬との関係、夢の挫折、女友だちの父親の無理解、どれも小さな子供一人の身の上に起こるには過酷過ぎる試練です。私たちはページを繰るごとに状況が悪くなっていくような、そんな過酷過ぎる試練の後には、きっと報われる未来がある、あって欲しい、と思って読み進めているはず。だけど、筆者はその目論見をみごとにはずして二人に死を与えているところが、めちゃくちゃ「かわいそう」なんだよね。




つまり、子供たちはネロのうけた試練がいつかは報われて欲しいと心の底から願っているのに、本の中のネロの周囲の大人は誰一人としてネロに救いの手を差し伸べてくれなかったでしょ?
子供は恐らくこの本を読んで初めて、世の中の大人たちの「弱いもの」に対する薄情さに出会うんじゃないかな。(これ以外ではアンデルセンの「マッチ売りの少女本」も基本的には同じ流れですね)。大人は弱い子供を守ってくれるという路線のストーリーから外れていて、「大変だ。世の中は、こんな過酷なことだっておきるんだ〜」と恐怖心すら抱くでしょう。




ただ、小学校低学年の子供が「なんでこんなに悲しいんだろう」というのの理由を自力で考え付くわけないよね。ここはお母さんの出番です。明日は、お母さんの役割を説明します。お楽しみに。