空き箱

私は、どちらかというと、しばしば女性が陥りがちな、華麗な空き缶や空き箱、リボンや包装紙や紙袋などを取っておくという習慣の無い性質だと思っています。



これは、私の場合は生まれつきの性格というより、後天的に会得した性質です。
私の考えを大きく変えるきっかけは、しばしば、このブログにも登場する「辰巳渚」さんの収納に関する卓越した文章に触れてからです。
それ以前にも、何度か引越しをする時に、むやみに物を溜め込むことの無意味さを体験していたという裏打ちがあったからこそ、辰巳さんの言葉がすんなり受け止められたのだと思います。



フェラガモ(私の一番好きなブランドです)でバッグを買ったときに入れてもらった真紅の紙袋と箱を包んでいた白いリボン路面店でお買い物した時のリッチな感動がよみがえるわ!
フランスで買ってきたチョコレートが入っていた、シックな空き箱。箱の裏にもビロード調の布が張り詰めてあって、宝石箱になりそう!
テディーベアが浮ちだしてあるクッキーの空き缶。こんなのにハンドメイドのクッキーを占めてプレゼントしたら喜ばれそうだわ!
ヨーロッパのお土産が包まれていたきれいな包み紙。色使いが洗練されているし、何より珍しいよね!
・・・・・等々

これらの空き缶空き箱空き袋リボン包み紙は、結局は一度も活用されること無く、押入れにしまわれていて、六回の引越しを契機に全てゴミとなってきました。



そういう実体験から、今、使っていないものは、たぶんずっと使わないだろうという予測がつくようになったのです。
「すごく大事なもの」と「今、実際に使っているもの」の間に、「今は使っていないけれど、かわいいし、捨てられない」という段階にいる「かわいいもの」ってありますよね。
でも、それは、多分ずっと「かわいくて使えない」という気持ちのまま、いつしかプリントは色褪せていき、いずれは不燃ごみ(可燃ごみ)になってしまうものなのです。
ちょっとくすんで埃を被ったこれらの「大切にとっておいたために、一度も使わず終いだった、かわいい包みや箱」をガッサとゴミ袋に入れるときの虚しさったら。

それで、この手のものを取っておかなくなったのです。