またの名をグレイス

上下二巻の「またの名をグレイス」は、なかなか読み応えがある本でした。
150年前にカナダで実際に起きた殺人事件を追った作品です。



殺人事件の共犯者として逮捕され、絞首刑が決まったものの後に酌量されて無期刑になります。
当時16歳のグレイスには、街の宗教団体を中心にして無罪の嘆願書が出されています。その一環として、事件後16年たって精神鑑定を依頼されたアメリカ人医師が、グレイスの人生と事件の核心に迫るというものです。



実はグレイスを弁護した弁護士でさえ、彼女は真っ黒だというのですが・・・・・
精神科の医師は、自分の仕事は罪の白黒をはっきりさせることではなく、彼女が記憶を失っている事件の核心部分の記憶を呼び戻すことだと認識しています。とはいえ、野心を持つ若い精神科の医師の周りには、誘惑が一杯で、結局自分の任務を全うできないまま任を離れることになるのです。




この本の面白さは、実はこの精神科医の存在にあります。
彼は、グレイスの人生を白日の下に晒す仕事をする一方で、自分を巡る家族・結婚問題・下宿先の婦人との関係・野心・宗教・当時の精神科のメインストリームから異端まで、さまざまな問題を読者の眼前に晒しています。
懲治院で監禁されている女中グレイスの人生より、よほど生き生きとしています。人間的で、背徳な生活を送り、しかもそのことに悩み悶えています。この若くてハンサムな先生は、この先どうなるんだろう?とついつい要らぬ心配をしながら読んでしまいます。



いまでは、多重人格をテーマにした作品はいろいろ取り扱われています。素人の私でもその名称を知っています。
この本を読む限りでは、150年前にはまだ「多重人格」という言葉はなかったようで、そのような症状を持つ人は、「嘘をついている」ということにされていたようです。
多重人格症が、ここ数十年のあいだに新しく出来た病気だとは思えませんから、それまでただの「嘘つき」として不当に扱われてきた人たちって随分たくさん居たんじゃない?



グレイスには、どんな結末が待っているのか、知りたい方は是非ご一読ください。
岩波書店「またの名をグレイス」マーガレット・アトウッド作【佐藤アヤ子訳】