ねこ

息子Bのお受験が済んで、志望校に合格したころ、ペットを飼う話が熱く語られました。
ところが、意外なところから反対意見が出て、いつの間にか立ち消えてしまいました。
意外なところから、というのは、私の母からです。
実は、実家で飼われていた猫は、チャトラの雑種のオスでした。もちろん去勢されているので実質中性でしたけど。
その猫が、なんとなんと生きること生きること・・・・私が18歳の時から飼われはじめて、23年間も生きたのです。
もうあと二年も生きたらギネスに載るんじゃないかという勢い。



完全な家猫で、娘の私から言わせていただくと、私たちの子供時代より、よほど大切に育てられていたという感想を持ちます。
歯磨き・全身の清拭(足の裏の肉珠・耳の穴・肛門まで)・冬は湯たんぽ・夏は人間が留守のときでも猫のために冷房が入っていた・両親が旅行の時には、娘が日に二回猫の世話に借り出される・食欲がないときには猫缶詰ではなくて生魚を焼いて骨を抜いてほぐした焼魚をやる・季節の変わり目には朝夕二回ブラッシングをしてもまだ毛が抜ける・・・・



私はそんな猫と母の姿を見て「猫かわいがりをする」という慣用句の意味をはじめて理解しました。



母は、それを23年間やってきたので、猫をきれいに健康に育てるのがいかに大変だったか身をもって経験済みだったわけです。
それで、息子Bに毎日のようにペットを飼うことの大変さを語って聞かせているうちに、部活動も始まり勉強も始動して、猫どころではなくなってしまったというのが現状です。



今にして思えば、息子Bがあの時猫を飼っていたらすべての世話は私にのしかかってきたのだろうという思いがあります。
しかし一方では、手間はかかるけれども、やっぱり癒しのヒーローになっていただろあなぁという気もします。
かわいい猫ちゃんたちを見ると、あの時猫を飼うチャンスを逃したのが残念だったという気がしてしまう今日この頃です。