お通夜

一昨日、三年前に私が非常勤として働いていた中学校でご一緒した先生のお連れ合いがなくなったとの連絡を受けました。
非常勤仲間も数人お通夜に出るとのことなので、私もご一緒させていただきました。



お通夜の会場に入った時、若い人がなくなったり、急なお別れになってしまったときのような愁嘆の空気ではなく、もっと穏やかな空気が流れているのに気がつきました。
かといって、100歳近い長寿をまっとうされた方のお式のような、晴れ晴れといったら語弊がありますが、ある種の
充実感というか、おめでた感というか、誰もが満足するような空気とも違うのです。

私のオジイサンは91歳老衰で亡くなりましたが、お通夜の会場では、お酒がふるまわれていて、すごいにぎやかな雰囲気でした。弔問に来ていただいた方の挨拶の口上も、
「長寿をまっとうできて、おめでたいことでございます」
みたいな挨拶でしたから。
そんなことをぼんやり考えながら、会場に届けられた盛り花を眺めると、親族や勤め先の同僚の方々からのお花以外に、終末医療機関の名前もありましたから、ひょっとしたら、長くご病気を患っておられたのかなぁ、と想像したりしておりました。



お坊さんの読経が続く中、会場にいた人々のお焼香が粛々と進んでいきました。喪主を勤めておられたのは、かつて私が一緒に働かせていただいた中学の先生です。ご主人を亡くされたばかりで、気落ちしておられるのは当然でしょうが、そんな気配をまったく見せずに、大変毅然としておられた様子が印象的でした。



読経が終わった後、なくなられた方が長年所属していたというグリークラブのメンバーが40人くらい祭壇の前に出てきて、お別れの歌を歌われました。メンバーの年齢層は若い人で30代後半、年配の方は70歳くらい。
アカペラの演奏で二曲歌いました。一曲めは「歌うことは楽しい」みたいな内容の曲で、二曲目は亡き友に「安らかに眠ってほしい」というような内容の曲でした。大変心のこもったいい演奏で、思わず涙ぐみそうになりました。
お通夜でこのような場面に出会ったのは初めてでした。
亡くなった方の人柄がしのばれる、よい機会であったと思いました。