人は見かけが9割 続き

校長先生が、
「見かけで人を判断してはいけません」
という話で締めたとき、この話の胡散臭さを感じとった15歳の嗅覚はある意味正しかったと思います。
もしも、校長先生が
「人は、見かけで判断されてしまう恐れがあるから、みなさん身だしなみには気をつけてください」
と話をまとめていたら、違和感なく腑に落ちて、かえってこんなに記憶に残ることはなかったかもしれません。


以前から、「人は見かけじゃない」といわれる度に、すごい偽善を感じていました。
私は本屋で雑誌を買う時、必ず一番上の雑誌を避けて、二番目か三番目の人の指紋が付いていないのを買います。
デパートで、プレゼント用の小物を買うときでだって、目を皿にして選り分けます。
何を?もちろん箱に傷のないものを、です。
すでに箱詰めされているデパートの商品の中身って確認しませんよね。私たち消費者が買物するときには、中身が同じだと判っていたら、外見の良いものを選びませんか?買ってきたら直ちにゴミ箱に捨てられるかもしれない外の包みなのに・・・です。


子供のとき、クリスマス会なんかでプレゼント交換しました。そんな時も、包みがしょぼいプレゼントが回ってくると中身を見る前にドヨヨーンとした気分になりませんでしたか?
そう思っていたのは、私だけじゃないでしょう。だって、自由に選んでくださいといって、プレゼントの山から一つずつ包みが選ばれていくと、最後に残るのは、見掛けの悪い包みのプレゼントだったはずですから。


そういう経験を鑑みて、すでに15歳にして校長先生の話には「嘘がある」と思ったのです。

さらに明日に続く