ナンチャッテの来世は?

一月は行く、二月は逃げる、三月は去る、とはよく言ったもので、気がついたら明日は立春です。
早いですね。


二月は、一つ公募作品の当落が発表される月でもあります。
けっこう気合を込めた作品なのです。
それに気付いて、実は、今日は自分の作品(原稿用紙170余枚)を読み返してみました。


   ※ここからはバカの独り言と思って聞いてくださいね。


「いいわあ」
半年前に書いた作品なんですが、信じられないことに同じ所で泣けるのです。
バカですね・・・・
最後のシーンを書くときには、散々泣きながら書いたのに、半年たってまだ泣けるというのは、こりゃいけてる証拠なんじゃないか?


今日一日家に居た息子Aは、居間で泣きながら自分の作品を読んでいる母の姿にあきれ果ててこういいました。
「母さんが、もしも、来世もまた人間に生まれ変わったとしたら、(母さんの悪行を鑑みると、来世も人間になれる可能性はとても低いが、と注をつけられましたが・・・・)独裁者が向いているよ」
そこまで「自分の作品がいい」と言い切れる思い込みの激しさはなかなか例を見ないと思う、のだそうです。


そうかなぁ?
みんなある意味じゃあ「自分の作品がいいい」とか「自分の容姿はめっちゃいけてる」とか「センスの良さは天下一だ」とか「頭がいい」とか・・・・口にだすかどうかは別として、思っているんじゃないのかな?
それが証拠に、「そこんとこいけてない」と指摘されたり、「あそこはよくない」と注意されたりすると、みなさん機嫌が悪くなりますよね?
「そうですか?すぐに直します」
と答えるられる人って、見たことないなあ。
口先で答えても、本当に直す人って、私の周りじゃいないと思う。


散々息子に馬鹿にされつつも、なんと次回作品の構成まで考えている私って、やっぱり来世は独裁者か?