ビバ!クラス会 その五 嬉しい恥ずかし・・・

みんな大人になって、社交辞令もそれなりに使いこなせる年齢になりました。
私も、友人から教えてもらった「立派になって」と「変わらないね」を数度、社交辞令として使う場面もありました。
が、しかし、概ね本心で「変わらないね」と言えました。


但し、男子と女子で比べた場合、客観的にみて男子の外面的変化のほうが大きいことが多い。
男子に比べたら、女子の変化は誤差の範囲といってもいいくらい。
「激太り」の女子は一人も見ませんでした。
もっとも、もしも私が「激太り」していたら、自尊心が邪魔して懐かしの同窓会には出られないかなあ・・・
それよりも、高校時代にはち切れんばかりに「ぱんぱん」だった人が、ものすごくきれいに痩せて「別人」になっていたというケースの方が多かった。
自分の経験も踏まえて鑑みるに、高校時代の姿は、世を忍ぶ仮の姿だったのだと思います。
日焼けし放題、髪型は考えなしのショートで不都合な自分をより一層不都合な自分に見せていたし、襟の詰まったブラウスで短い首を更に強調、太いウエストを更に際立たせる微妙な位置のウエストマーク、足の太さをいやが上にも意識させる、ふくらはぎの一番太い場所でソクピタ(ソックスのずり落ちを阻止するための糊みたいなもの、覚えてますか?)を使って無理やりソックスを止めていませんでした?
今の基準でいえば、すべて「べからず」だった!


あ゛ー、ティーンのあの数年間は、自分の外見的欠点を隠すどころか拡大鏡でさらに大きくして見せていたようなもの。人生で一番パンパンだってし、人生で一番・・・見栄えが悪かった。


30年の年月を経て、改めて恥じ多き自分の人生を客観的に見られる機会が与えられたことに感謝。


ちなみに、数年前には、地元の中学校の同窓会がありました。
たまたま日程的に都合がつきにくかったというせいもありましたが、どうしてアレンジできないという日程でもなかった。それなのに欠席したのは理由があります。
中学生のときの自分は、高校生のときの自分より、さらに「素」の自分を露出していたはず。そんな「素」の自分を客観視する勇気がどうしても出なかった・・・・それで欠席したのでした。
謙虚とか、自重とか、上品な振る舞いとか、調和とか、思いやりとか、そういう言葉は、当時の自分の辞書には載ってなかったなぁ・・・・
いやあ、愧赧の念(きたんのねん)とは、こういうことなんだなあ。