大連レポート

中国に到着した二日目と三日目は、それぞれ旅順ツアーと大連市内ツアーに参加してきました。
夫が、日本語ガイド付き、運転手つきのツアーに申し込んでくれたものです。
旅順は、去年NHKで製作したドラマ『坂の上の雲』の舞台となった場所ですから、とっても興味がありました。
203高地旅順港、ロシア軍の基地、どれも実物が見て見たいと思っていてたところです。


ロシア軍の基地は、いまでこそ、コンクリートの壁がむき出しで、いかにも『基地』然としていますが、ガイドによると、当時は木が生い茂っていたため、とてもここにそんな基地があるとは思えなかったのではないか、と言っていました。
それにしても、厚さが70から80センチもあるようなコンクリートの壁に、生々しい銃弾の痕が残っていたんだけど、いかにも無力さを感じさせるものでした。
厚い壁の中にいるロシア兵にとっては、日本兵の撃ってくる銃なんて、全然怖くなかったんだろうなぁ。


ただ、203高地を日本軍が占拠した後に、直径28センチの大砲で撃ったといわれる砲弾は、何箇所かコンクリートの壁を崩していました。
ロシア側は、その砲弾で一人の名将軍がなくなったことから、総崩れとなったそうです。
乃木大将の次男が亡くなったといわれる地点も見てきました。
ロシア軍の基地へ上る途中の急斜面に、その塚が祭ってありました。
と、そこへ一人の中国人のおじいさんがやってきて、私たちになにか話て行きました。
ガイドさんの通訳によると、乃木大将の次男は、実はロシア軍の銃弾で亡くなったのではない。乃木大将が、決死の任務を与えたものの、次男があまりに苛烈な任務だったために躊躇したところ、乃木大将が彼を刀で切り殺した・・・というのが本当なんだ、とのことでした。
いずれにしても、悲しい話ですが。


旅順には三つの名物があるそうです。
一つは塔が多いこと、一つは風光明媚なこと、一つは鳥と蛇(天敵同士)が共存する不思議な島があること、だそうです。
たしかに、日露戦争にちなんだ塔がいくつも立っています。
乃木大将が作った慰霊の詩、「爾霊山」は、戦いのあとに、山に残った銃弾砲弾などの金属を拾い集めて鋳造して立てたそうです。
203高地の名前の由来は幾つかあるそうです。いくつか聞いたけれど、覚えているのを二つ。
一つは、日本軍がつけた作戦上の目標物の名前が203だった。
一つは、203高地の高さが203メートルだった。
ところで、203高地は、もともと標高206メートルだったけれど、激しい戦いの結果、土が削られて203メートルになったそうです。


203高地からは、旅順港までは5キロくらい。確かに、眼下に見下ろすことができます。そこから大砲で旅順港に停泊するロシア軍の軍艦を大砲(直径28センチの砲弾)で狙い撃った、ということらしいのですが、こんなに低い高度で、どうやって撃ったのか?
どうやら、高く打ち上げて大きな放物線を描いて砲弾を落とすというやり方だったようです。
正確なレーダーもないのに、どうやって当てたのか?
結局、何発か撃って、少しずつ訂正していったようです。


それにしても、あそこでロシアも日本もどれだけの若者が死んでいったのかと思うと、胸が詰まりました。


旅順に行くなら、是非とも司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』を読むか、ドラマを見るかしてから、訪れるといいと思います。