一学期を振り返って

来週から午前中授業となります。
午後からは、担任と父兄との懇談があります。
副担任の身としては、来週の一週間は、やっと一息つくことができる日々になりそうです。


さて初めての常勤勤務を一学期間続けて、やっとおぼろげながら仕事の全貌が見えてきた気がします。
かねがね、学校の先生って、どうしてこうも命令口調なのか、と不思議に思ってきたのですが、一学期間、教員生活をして、わかってきました。

「〜てください」
と、
「〜しろ」
では、生徒の反応速度が明らかに違うのです。


「後ろからノートを集めてきてください」
より
「後ろからノートを集めること」
の方が反応がいいし、もっと言うと
「後ろからノートを集めろ」
だったら、速攻でノートが集まります。


「今日、このプリントを忘れた人は手を挙げてください」
だったら、手をあげない生徒が数人隠れていますが、
「今日、このプリントを忘れたモノはそこに立て」
といったら、100パーセント、持ってこなかった生徒が把握できます。


ナンチャッテは、ちょっと気が付いてきました。
丁寧な口調の先生から、優しく指示をうけるよりも、命令口調で、上から指示が下るという環境の方を、生徒自身が望んでいるのかもしれない・・・ということです。


「〜てください」
は丁寧な命令だと思っていましたが、実はかすかに懇願の匂いも混じっています。

例文:「ノートを出してください」
解釈①・・・ノートを出せ。これは命令だ 
解釈②・・・お願いします。ノートを出してください
一般的には、解釈①に変換してくれていると思うんだけど、中には、解釈②に変換する生徒もいるのではないか、という疑問です。


実は、常識とか言葉の意味というものは日々形を変えているものなのです。
「しめなわ」を知らない生徒からすれば、「しめなわで野菜を縛る」・・・は当たり前。
「雑巾で机を払拭する」「子供が巣をいじったら、スズメバチ蜂起した」とか、こんな例文は、全然、ぜーーーーんぜん珍しくないのです。こういう人たちが人口の大半をしめてくると、もはや本来の意味は古語となるわけです。
「乞食」の意味を知っている生徒がクラスに数人です。室生犀星の小景異情に出てくる、「〜まじ」だの「〜ばや」だの「よしや〜とても」だの、これらの「古語」は答えられなくても、まあ想定内の単語です。が、乞食を知らないとなると、事情はちょっとばかり異なります。
ちなみに、マーク。トウェインの『王子と乞食』を知っている人は120人中ゼロでした。


ね?
100人以上の人に質問して、知っている人がゼロという事柄については、もう完全に「常識」とは言えないでしょう?


まあ、そういうカルチャーショックをほぼ毎日うけつつ、日々少しずつ、使う言葉が命令口調にそまりつつ、無事に一学期が終わりそうです。