一市民として、心配していること

消費税引き上げの時期が先送りされたというニュースを見て、一市民として心配していることがあります。
確かに、消費税が2パーセント上がるのは負担増なんだけど、その負担よりも、消費税導入時期先送りで、講じられるはずの社会保障が削られる方のマイナスの方が大きんじゃないかということです。
で、社会保障で、まず必要なことは、若い世代を応援することなんじゃないかと常々感じています。

最近話題に上がる、「貧困」という言葉。小学生や中学生の育ち盛りの子供が、満足な食事すら食べられていない現実をニュースで見ている方も多いのでは?
ナンチャッテは、中学校で非常勤講師をしていた10年前に、その現実を見てきました。
そんな不安定な家庭で育って、安心して勉強なんかできるでしょうか。呑気に宿題なんかやっている場合じゃない。だって、今日の晩御飯が食べられるかどうかもわからないのですから。
せめて、そういう児童生徒をなくすような社会保障の制度のために、税金を使ってほしいと思っています。もしも彼らがまっとうに育てば、10年かそこらすれば、納税者になるわけで、かけただけの元手も、いずれはペイしてくれるはずです。だけど、もしも社会からドロップアウトしたまま大人になってしまったら、納税者どころか、税金を使って支援をしなければならないような若者になってしまいます。

ここでお金を使うのは、絶対に無駄じゃないと思うのよね。
よく、貧しくても成功して立派な大人になる人もいる、という意見を耳にしますが、あなたなら、今晩、晩御飯がないかもしれないという日に、心穏やかに家で勉強するだけの精神力、ありますか?普通の精神力でない強靭な意志をもった偉人なら、それもできるんだろうけど、そんなの特殊なケースなんだと思うわ。

今、高校で生徒たちを見ていると、疲弊している家庭が多いなあ、と実感します。
小学生で習得しているはずの算数や、基本的な漢字、県名などの「あったりまえ」の知識のみならず、常識とされている生活面での躾や口のきき方や作法が身についていない生徒が少なからずいて、びっくりします。前にも書いたけど、小学校側の手抜きもあるかも。だけど、家庭の協力なしには、子供の教育って、うまくいかない。
せめて、子供の最低限の読み書きと一般常識としての躾を、各家庭でするのが当たり前だというくらいの生活レベルの向上のために、税金を使ってほしいです。親が馬車馬のように朝から晩まで働いても、満足に子供に御飯を食べさせられないような家庭が存在している社会って、なんか、おかしくないですか?