こぎれい、こざっぱり

以前から何度も紹介している石黒智子さんとは一味違った家事についてのエッセーを書いているのが、山本ふみこさんです。
やはり写真つきのエッセーです。同じ系統とはいえ、石黒さんが東京山の手の奥さまとすれば、山本さんは、もっともっと身近な「隣のオバチャン」みたいなイメージです。(あくまでも私の勝手な想像です)



本に出てくる「雑巾」一つとっても、石黒さんののエッセー本に出ているのは、なんかいかにも由緒ありげなリネンとかどこぞのタオルの古びたものを雑巾にしている風ですが、山本家のは我が家の雑巾と「そう変わらん」みたいな、使い古された風格のタオルが登場しています。夢はないけど、安心する、みたいな内容の本です。


その中で、一番面白かったのが、鍋の柄についての記述。IHコンロが登場する前から家事を担当している方なら経験があると思いますが、ガスレンジの火が大きすぎるのに気づかないと、鍋の柄を焦がしてしまう事故って珍しいことではないと思います。私も行平鍋を使っていたころは、しょっちゅう焦がしました。(今は使っていません)

山本さんは、ある時思い立って、いっそうのこと、鍋の柄をとってしまったほうがいいとの英断で、柄無しの時代が続いたそうです。でもやはり柄が無いと、満水の状態だとちょっと重い。そこで、ある時、100円ショップですりこ木を買ってきて柄を削りだして鍋に取り付けたら、やはり便利だということで再び柄付きの行平鍋に復活したとのこと。本当にどうでもいいようなことかも知れませんが、一つの安い鍋にもそういう歴史があるのね、と思うと、なんだか楽しいじゃありませんか。


この本のタイトルにもなっている「こぎれい」にはすごく親近感を抱きます。きれい過ぎると、なんか落ち着かない、という気持ち、分かっていただけます?
金タワシでゴシゴシ磨いてあるから、焦げや油の飛び跳ねが付いていないが、白い磨き傷が付いているから顔が映るような輝きがない状態。清潔だけど、新しい鍋にあるような光沢は消えている、みたいな状態。
それが「こぎれい」です。
長年使い込んでいても、なぜか買ったころの輝きと光沢を保っているのが石黒さんの台所グッズ。これは「うわぁおぅ、きれい!」という状態。
憧れは石黒台所ですが、現状では「こぎれい」な山本台所が目標です。