貧乏な先生

昨年後半から、一年生の「選択」の授業がスタートしました。
私は週に一回だけ、一年生の教室に行くことになりました。



中学一年生というのは、正直なところ担当したくない学年のワーストワンです。
すぐに暴力を振るったり、卑猥なことを平気で話したり、私語が多かったりするからです。


そんな中、国語の選択の授業の中で、助詞の使い方について考えてみようというテーマを取り扱いました。
私は、助詞について話す時にかならず使う定番の俳句があります。
「米洗う 前を蛍の 二つ三つ」
というやつ。

「前へ」「前に」「前を」「前で」というように、一つの言葉を変えるだけで、蛍がどういう状態で光っているのかが変わるということに気付いてもらうためです。



イマドキの子には、井戸端(当然屋外)で、米を研ぐ姿なんて想像もできません。
うっかりすると、家で母親が無洗米を使っていたりなんかして、米を研ぐこと自体を知らない人だってありそうな世の中なんですからねぇ。
それで、少なくとも今から100年位前までは、一般家庭では屋外の井戸を使っていたんだと話しました。
実は、私の生家では、私が小学校に上がるころまでは井戸をつかっていたので、その話をしたら
「うわぁ、先生の家って、ビンボーだったんだ〜」
といわれてしまいました。


もちろん、私はすかさず、こう訂正しました
「いいえ、違います。『ビンボーだった』ではなく、『昔からビンボー』なんです。今もずっとビンボーは続いているからです」
といったら、どういうわけか皆さん納得して信じてくれたようで、それ以来ずっとことあるごとに
「先生ちはビンボーなんだよね〜」
と確認をとってきます。
特に訂正する必要もないので
「そうですが、何かご不満でも?」
と答えています。