入学講話

二週間ぶりに学校に行ってきました。
三年生が卒業したので、三年生担任だった先生たちは、とりあえずはほっと一息ついている感じです。
とはいえ、数日後には公立高校の受験結果が出るわけで、いってみれば嵐の前の静けさでしょうか。
県立高校を二校受験するとはいえ、ダブル落ちしてしまう人もいるからです。
おまけに、私立高校を受験しないとか、手付け金の二万円を振り込んでない人とかもいるようで、気がぬけませんよね。
経済的な問題が絡むのでどうしても無理な家庭もあるのかも知れませんが、せめて二万円の手付け金は入れて欲しいですよね。保険のつもりで。




さて、ウワサの一・二年生は、相変わらず先生たちの手を煩わせているようでした。
もちろん問題を起こす子は限られた人限定で、大多数は全然問題ないのですが。
前に、テレビの番組でアメリカの若年刑務所のモト受刑者が、現役のチョイワル若者に自分の体験を語る、みたいな試みをしているのを見ました。
たいていは恵まれない家庭で惨めな子供時代をすごしているという共通の背景を持っています。
どんなに偉い人が素晴らしい説教をしても、それを聞くほうとしては、
「あいつらは、自分は安全な岸にいて、川向こうから火事の現場をみているような奴らなんだ」
と思うでしょう。
それが、モト受刑者でしかも年齢も近く、育った環境も同じだという人から、生活を変える事の意義を説教されたら、ちゃんと話を聞けると思うわ。



それと同様に、かつて学校一の悪がきだといわれた生徒に来てもらって、いかに中学で悪いことをして、それが自分や学校や友達にとってどれだけ悪いことだったか話してもらえたらいいのになぁ、と思います。
三年生が卒業間近に、「卒業講話」という名目で、このあたりの出身で、各界で活躍している人の話を聞く機会がありました。
そういう立派な人の話ももちろん聞く機会があればいいですが、全くの逆発想で、先に述べたような先輩をお呼びして、新一年生に「入学講話」を聞かせたらどうかなぁ?