般若心経

たまたま手元に用意した本がなくて、全然食指が動かなかったけれど「般若心経を読む」というのを読みました。
活字中毒というか、何か読まないと落ち着かないので、常に手元に本を用意しておかないと、ときどき、こういう目(本来なら絶対に読まないけれど、中毒症状が出てしまった以上仕方なく読む)に遭ってしまいます。
般若心経、どんなもんだかご存知でしたか?


仏様の知恵にすがること。こだわりを捨てて生きること。布施の気持ちを持つこと、など、物欲の権化のような私ナンチャッテにとっては、とってもわかりにくい内容でした。
が、この本を読んで一つだけ長年の謎が解けました。


私は前から芥川の蜘蛛の糸に出てくるお釈迦様の存在がよく理解できませんでした。
カンダタを助けようと蜘蛛の糸を垂らしておきながら、なぜカンダタ蜘蛛の糸をよじ登るほかの罪人に向かって「俺のものだ。降りろ」といったら途端に糸を切ってしまったのか、ということ。
普通、どんな宗教人であったとしても、カンダタと同じことを叫ぶのではないか。
「さあ、みんなで仲良くこの蜘蛛の糸を登って地獄から脱出しましょう」
とは言えないのでは?
あなた、言えます?
だって、天国から垂れて来たのは、合金の頑丈なはしごじゃないんですよ。今にも切れそうな蜘蛛の糸なんですから。


お釈迦様ともあろうお方が、どうしてそういう人間の心理が理解できないのか、不思議でなりません。
私は、初めて読んだとき(小学校低学年の道徳の本に載っていた)、お釈迦様タイプの人とは絶対にお友達になりたくないと思ったものです。


で、般若心経を読んで今までの疑問が氷解しました。
お釈迦様は仏様で、仏様の知恵は、人間にはとても理解できないものであること。
人間の物差しはゴムの物差しで、自分の都合のよいようにメモリを伸ばしたり縮めたりしているから、本当に正しいかどうかなんてわからないこと。
つまり、人間である私は、仏様のなされたことを理解しようとか、なぜそんなことをしたのかとか、そんなことを考えても仕方がなかったのです。


この理解が正しいかどうかもまったくわかりませんが、少なくとも、私の気持ちとしてはスッキリしました。
気が向いたら、もう少し真剣に般若心経について書いてある本を借りてくるかもしれません。