韓国の歴史

一昨年ころから韓国ドラマにはまり始めました。
そして、去年の夏は、おばさん非常勤の友に触発されて、韓国ドラマの歴史物をテレビで見るようになりました。
ヨン様ブームに乗り遅れた分を取り戻すかのようにして続けさまに見ることになりました。


見始めると知りたくなるのが韓国の歴史です。
とはいえ、いきなり「高句麗の建国史」から始めるとかなり長くなります。
それで、手近に「近代」でも・・・と思っていたら、たまたま面白い本に出会いました。
『無窮花』という題名です。
日本でいうところの「ムクゲ」でしょうか?
私は全然韓国のことには無知なので自信がないのですが、たしか、韓国の国花はムクゲではなかったでしょうか。
この本の主人公は、閔妃の血縁関係にあたる筋の実在の女性です。名前を甲完といいます。
韓国の歴史に無知な私ですが、一応、「閔妃暗殺」くらいは日本の歴史小説を読んだ中で見たことがありましたから、高貴な方なんだろうなぁ、くらいの認識はありました。
本来だったら朝鮮王朝の皇太子と結婚して、いずれは国母になる予定の女性だったのだそうです。
国を挙げて、お妃を選ぶ儀式で正式に皇太子妃として選ばれていたにもかかわらず、後に、垠皇太子が明治政府によって日本に連れて行かれ、日本の皇族として生きることを余儀なくしたために、妃となるべきはずの地位を奪われたという人です。


私たちの歴史認識だと、方子様が最後の妃ということになっていて、彼女は彼女で悲劇の妃ということになっていますが、別の悲劇の妃もいたんだなぁ・・・と思うと、なんともお気の毒です。


当時の高貴な女性の規範としては「女慕貞潔」の四文字にあらわれているのだそうです。「女が一人の人を慕ったら、わき目も振らずにその方だけに心を置かなければならない」という意味なんだとか。
甲完さんは、その四文字に全人生をかけて、歴史の波に翻弄されつつも意思を貫いたという人でした。
ある意味で烈女なんでしょう。


でも、読後にものすごい違和感が残ったのは否めませんでした。
確かに、皇太子妃に選ばれたという栄誉は何者にも換えがたい栄誉ですが、結婚していたわけじゃ無し、しかも皇太子は日本人女性と政略結婚にせよ結婚しているわけだし。それなのに、なぜ上海に亡命までして独身を貫く必要があったのか?
そして彼女の生き方を一族が応援して、まあ、早い話がとばっちりで獄死やら病死やら貧困やらで没落していきます。
それを知っていて「女慕貞潔」に殉することって、そんなに大切な信念なのか?


名前を忘れてしまいましたが、中国の烈女列伝の中の女性で、自分の子どもを育てるために、夫に死なれた女性がなりふり構わず夫となる男を捜して(数度乗り換えて)、子どもを立派に成人させたという話があります。私はその女性の話が好きです。
その女性を「女傑」として「えらい女だ」ととらえた中国人の感性も好ましい。尻軽女と貶めては居ませんでした。
同じ儒教の国で、こんなに異なる解釈がされるのも面白いです。