明治の教育

二学期中間テストも一段落して、いよいよ後半戦。
三年生は、現代国語のスタンダード『こころ』を読みます。


準備でいくつか漱石のこと・漱石の時代のことなど調べておりました。
なかなか興味深いことが見つかりました。


『こころ』の登場人物である「先生」が学生をしていた時代、恐らくは明治10年ころだと想像できますが、この国に大学はいくつ存在していたと思います?
なんと、たったの一つだけ。当時は東京大学のことを大学といっていたみたいなんですよ。


うかつな私は、高校生のころ「こころ」を読んだと思っていましたが、実は、字面を追っていただけだったんですね。
当時のことや当時の考え方や因習や親子観やもろもろの背景を全く理解せずにいたわけです。


そうと知ったら、後に「先生」の奥さんとなった下宿のお嬢さん(静)や、下宿の女主人に抱いていた感想は、当時の私の感想とはまったく違った答えが導き出されます。
当時は、私は静を、弱い立場の不幸な女性としか思えませんでした。
でもホントーは違うよね。
世の中に星の数ほど男はいても、明治10年ころに、大学に通う学生=東京大学ってコトとだけど・・・・って、そうそうはいない。
恐らく一般人には、そんな男性と知り合うチャンスすらない。
将来を嘱望された若い独身男性が、妙齢の美人の娘がいる下宿屋にやってきたら、どうよ。


私に娘がいたら、悪所の因業ババアのようにあの手この手その手を使って何が何でも「彼」を篭絡するな〜。
もう、娘の未来は約束されたも同然よ。エリート中のエリートよ。
静は自分で何も選べない受身一方の大和撫子って訳じゃなかったんじゃないの・・・という気がしてきました。