古事記

前から薄々感じていたことです。
以前に、今時の高校生は、「金太郎さん」の昔話を知らないって内容を書きました。
そういえば、中学で講師やっていたころ、同僚の先生が嘆いていました。今どきの中学生は、「かぐや姫」の話を知らないって。その先生に乞われて、うちの息子ABが愛読した絵本「かぐや姫」をお貸しました。授業中に先生が絵本を読み聞かせしたとのことです。
これはある意味由々しき問題だと思っています。


先日、高校生に、評論文の中に数行登場する、「古事記」の中の「イザナキが死んだイザナミを追って黄泉の国まで訪れた話」を知っているかと聞いたら、なんと、全滅!だ〜れも知らないって、おかしくないか?
現代文の教科書を読んでいて常々感じるのは、今時の高校生には、その手の「知ってて当然」という基礎的教養部分が極端に薄いってことです。おそらくこの教科書を編纂した方々も、古事記の中のこの一節くらいは、日本全国の高校生の良い子のみんな、知ってるはずだよね・・・という前提だったんじゃないっすか?
現代国語でこれだけ感じるんだから、歴史とか地理とか古典を教える先生なんか、もっと痛切に感じていると思います。


この手の知識というか常識(かぐや姫古事記など)って、いつ身に付けるものなのか知りませんが、恐らくは子供のころ、寝物語で聞かされたりして育っていくものなのでは?
今時のお父さんやお母さんは、子どもに昔話を話してやる暇がないほど忙しいのか?
それとも、今時は「かぐや姫」や「金太郎さん」や「古事記」は、内容が古すぎて絵本自体が出版されなくなっているのか?
それとも、今時の高校生の親(ナンチャッテの世代ですが・・・・)自体が、昔話を知らずに育ってきたのか?
一番好意的な解釈をすると、「んなこと(イザナミの話)、知ってて当然だろ〜が。いちいち馬鹿らしくて手なんか挙げられっかよ〜」だったのか?


「馬鹿らしくて手なんかあげられっかよ〜」でついこのあいだ息子Aから聞いた話を思い出しました。
大学での授業中、先生が生徒たちに、いくつかの飛行機の写真をみせて、この機体の名前を知っているか、という質問をしたそうです。たとえばYS11とかボーイング747ダッシュ400とか。生徒うちの何人かが手を挙げて答えました。
ところが、先生がコンコルドの写真を見せたときは、息子A以外の誰も手を挙げなくて、当然息子Aが答えることになりました。
コンコルドですっ」
この場合の誰も手を挙げないシチュエーションは、(そんなの全員知ってるんだから、先生も質問すんなよな〜)みたいな空気だったのでしょう。それを読みきれなかった息子Aは、この授業のあとで、知らない生徒からも
「ああ、あのコンコルドの人か〜」
と呼ばれるようになったとか。息子は、「もう二度と手を挙げないっ」といっていました。(トホホな体験したんだね・・・こういうのがトラウマになるってやつか?)


しか〜し、「イザナミ」に関しては、どうもそんな空気ではなかった。
本気モードで知らなかったはず。
国語の教師として、言わせていただきたい。
とりあえず小学校くらいの教科書には、小難しい説明文とか突飛なストーリー(夢オチみたいな)の新作物語とかじゃなくて、日本人なら知っていて欲しい・・・中学や高校の内容に繋がるような内容を入れて欲しいです。