いつやるか?今でしょ

林修先生の「いつやるか?今でしょ」が学校の図書室に置いてあったので、借りてきました。
平成25年度購入の書籍ですが、けっこう読まれてきた感が漂っています。生徒ばかりでなく、教員も借りているようです。
「ああ、ナンチャッテ先生も借りたの?僕も読みました」
と声がかかりました。


勉強のことばかりでなく、生活一般のことから、社会人としての常識、人間関係、思考方法など、人への質問の仕方など・・・内容も偏りなく面白いです。


賢い人は、そういう角度から物事を見ているんだね、と、賢くないナンチャッテには、新鮮な内容でした。
ここでいう「賢い」は学歴が高いという意味じゃなくて(もちろん学歴が高いというのも含みますが・・・)、その道の第一人者とでも言ったほうがいいかもしれません。


実は、子育ても終盤に近付いた今、つくづく考えることがあるのです。
日本の義務教育って、もちろんいいところが多いとは思いますが、それよりも寄ってたかって子供の才能を水で薄めているような気がしちゃうんです。
いい点というのは、例えば、日本人の小学生は、リコーダーを習いますから、とりあえずト音記号の楽譜くらいは全員が読めたり、ゴッホの「ひまわり」を見て、「ああ、ゴッホね」、といえるくらいには知識があるし、水泳も25メートルは泳げるようになったりしてます。アメリカで生活して知った驚愕の事実の一つは、その手の知識や技術を習わない国って、アメリカを含めて、意外と多いってことでした。特に、ナンチャッテ世代の中国人から、「私はゴッホという人を知りませんでした。音符もよめません。中国の歴史も知りませんでした」と聞いたときには、彼女の学識の高さ(医学部卒)から比して、ぽっかりあいた教養の穴に驚いてしまいました。


日本の教育の良くない点は、逆に、「まんべんなく」があだになっている点。
実は、ナンチャッテ自身も「まんべんなく」中途半端にできるように育てられた一人でした。
自分で「まんべんなくできた人」というのもなんですが、「まんべんなく」できるというのは、「まんべんなくできない」と同義語なんです。
人間、頑張ればできるようになる、というのは殆ど方便ですよね。
けっこう今でも「生徒ができないのは、頑張らないからだ」という先生がいませんか?
でも、正直なところ、苦手だったり、不向きだったりする教科ってやりたくないし、やってもあまり効果が出ないし、楽しくないじゃん。自然の成り行きとして、頑張らなくなるじゃん。
「まんべんなく」じゃなくて、嫌いなことに費やす時間の代わりに、好きなこと・興味の湧くこと・伸ばしたいスキルにその時間をかけたほうが、効率もいいし、ハッピーだとおもうんだよね。


林先生の本の中の「勝ち易きに勝つ」という項目があったんだけど、これは、常々ナンチャッテも考えていたことだったので、その道のプロが同じことを言っておられるようで、うれしかったです。


ギャンブルの話、麻雀の話も、すごく面白かったです。