サヨナラ食洗機

アメリカ生活で、初めて食洗機を使ったのは今から20年前です。
アメリカのは、なにしろビッグサイズで、鍋釜まで洗えるツワモノでした。
ホームパーティーでもしないと庫内がいっぱいにならないくらいの大きさ。


食洗機の便利さに味を占めたので、日本に帰ってきて、置き型の食洗機を買いました。
便利に使っていましたが、寄る年波には勝てず、とうとう使用歴10年で一度目の故障、そして13年目にはいった今年、再び故障したので、このたびこの食洗機を廃棄することにしました。
で、置き型の食洗機を退かしてみると、けっこうなスペースを使っていたことがわかりました。
むしろ、このスペースがあった方が、食洗機を使うことの便利さよりも勝っているのでは?ということに思い至りました。
ここ数日は、手洗いをして、洗ったものをかごに入れて水分を落とし、それを直ちに布巾でふいて食器棚に戻すという、基本形にもどって食器洗いをしています。


これが、それほど苦じゃないのです、今のところは。


まあ、実際に四月からナンチャッテの仕事が始まって、慌ただしい一日となり、皿洗いの10分が惜しいと感じるようになったら、再び食洗機の購入も視野に入れないといけませんが、とりあえず、苦じゃないうちは、これでやっていこうと思っています。


いいことばかりの食洗機でしたが、唯一の難点は、限られた庫内に効率的に食器を収める必要があるため、必然的に食器の形がプレーンなものになってしまう点です。
ナンチャッテは、アメリカで買いそろえたコレールの食器の秀逸さにすっかり虜となりました。
厚みがないので食洗機に効率的に収まる、欠けない・割れない、水垢が付きにくい、プレーンでどんな料理にも合いやすい、スタック収納ができる、お値段的にも大変お安い・・・・悪い点が思い浮かばないくらい便利でした。
ところが、最近、こればかりじゃあちょっと物足りないかも・・・と感じることがしばしばあります。
時には、全く無駄な形をした食器に盛り付けられた食事もいいじゃん。高坏とか、耳付きとか、角型など。


とはいえ、忙しくなったら再びコレールのお世話になるような予感もしつつ・・・・
ちょうど今、夫が、
「今日は、食洗機を買いに行こうか?」
と言ってきました。
夫はすでに四月以降のナンチャッテの忙しさを予見していて、いつ自分にその仕事が回ってくることになるのか、戦々恐々の思いでいるのかもしれません。