どうしたもんかのう?

久々の学校ネタです。
さぼっている間に、実は、中学校の非常勤講師から、常勤の高校教師になりまして、今年で三年目。

今の勤め先の高校は、全国模試の偏差値で50以上を目指したい、というレベルの高校です。まあ、いってみれば、中の下という位置づけで、上は県内上位の国公立を目指す人(一人か二人ですが皆無ではない)から、下は専門学校か就職か・・・という非常に生徒の卒業後の選択肢の幅の多い学校です。
進学校ならば、とりあえずは全員大学進学を目指す人ばかりかもしれませんが、このように幅があると、生徒の間でも、勉強に対する意識の違いがかなりあります。
とはいえ、生徒の資質としては、穏やかだし、純粋だし、正直な者が多いです。


で、こういう現象はどこの県でも地区でも起こっているのかも知れませんが、少子化の影響で公立高校の入試希望者数が減って、定員割れや定員割れではないにしても、受けたものが全員合格するというような事態が起こっています。トップ校や二番手三番手の高校は、それなりに熾烈な入試があるのかもしれませんが、中位以下の高校では、定員割れはどこの学校でも起こりそうな気配。


今年は、まあそんな状況のあおりを受けて、例年になく低位の成績の生徒も入学してきました。
先日の中間考査が終わって、非常によろしくない結果が数値としてあらわれ、一年生団の教員一同は、戦々恐々としています。
「いったい何人の赤点が出るのか」
「いったいどれだけの生徒が、赤点の多重債務となってしまうのか」
「いったい、どれだけの生徒が、追試で不合格になってしまうのか」
ナンチャッテは昨年に引き続き一年生の担当ですから、昨年の生徒と比べて、余計に今年の一年のことが心配になります。
実は、古典は、一学期の中間考査のときにとった点数が貯金となって、三学期になんとか帳尻を合わせてくる生徒が大勢います。昨年は、一学期の中間考査で赤点を心配するような人はおりませんでした。が、今年はすでに10人をこす生徒が、国語(現代文・古典)で赤点になるという勢いです。こののち、古典の平均点が上がるということはなくて、右肩下がりのカーブを描くのは必至。


問題なのは、そういう生徒が明らかに多重債務者だということ。
数学や英語の先生は、国語以上に心配しています。
中学一年の時に学んだはずの分配の法則とか、ひどい生徒に至っては九九が言えないとか、アルファベットの書きが不安だとか、単語の意味や文法が中一の時から進んでいないとか・・・
勿論、理科や社会も同様です。


この結果に危機感を持った教務が、こんなことを計画しているようです。
そういう生徒(20人近いと思ってください)を、毎日居残りで教室で勉強させ、その監視役を毎日一人ずつ一年の教員で担当する、というもの。
失礼ですが、居残りくらいで、本当に小学生の時に積み残してしまったような学習内容を、自力で勉強して追いつけるとでも思っているのでしょうか?ただ、教室の椅子に座らせて(部活動は当然不参加ですがな・・・)居残らせるのは、嫌がらせか、修行だといか思えないんだよね。しかも、使用する教材は、高校一年生の教科書や問題集なんです。
「どうしたもんかのう?」
もしも、少しでも成果が出る方法があるとすれば、それらの生徒を一人ずつ一人の先生が担当して(体育や音楽の先生も)、とりあえず中学までの勉強を責任を持ってみる(いってみれば、家庭教師みたいなもん)という方法かなあ?
中学までの勉強なら、教員やってる人なら誰でも無理なく見られると思うんだ。


失礼を承知で言いますと、小学校の先生って、手を抜きすぎなんじゃないのか?
九九が言えない高校生って、アリですか?
ひらがなの「は」の書き順が、右から始まってしまうような高校生(日本人です。外国人ならありかも・・・)ってアリですか?
最低でも、小学生で学ぶ内容の知識くらいは、全ての日本人につけさせないと、将来困るのは、この子だけじゃなくて、そののちもずっと続いてしまうんじゃないのかなぁ?
「どうしたもんかのう?」